市ヶ谷にて

はすだ昌志

ある晴れた日、鳥が消えた空の下で、正月休みのちょっと前のこと。僕は昼ごはんを食べようと思っていて、静かなところを探しようとした。並木の枯れた大枝の下をくぐって、法政大学の隣に走っているJR中央線の軌道は目がくらむほど明るく光っている方向へ歩みだした。

突然、ばらばら散らばっていた色あせた冬の落葉が覆った小さなテーブルを見かけた。僕が来た前に同じところで座っていた見知らぬ「誰か」の飲んでいたお茶のペットボトルがテーブルの上に弱々しく光っていた。その「誰か」がちょっと前に聞いていた音楽が、香水のやや苦い香りがほのかに空気に残っているように、漂っている。僕は振り返ると、隣のテーブルで、ギターを弾いている男が座っていた。彼はうねうねと横たわっている川の方に僕は見えない何かが見っているようだった。ギターで弾いた音には、なんともいえぬ美しさが聞こえてきた。

あの日に僕が聞いた「美しさ」はどういうものでしょうか。結局、あの日に聞いた音楽の中で充実して生きているはすださんのスタイルが、音楽の音としてしか伝わってこない美しさなのである。聞いていると、僕は川のほとりを走ってその流れる水を空しく追いかけている気がした。僕は音楽と言う水を汲めない聾唖だった。僕は長い間音楽家になりたいという夢を抱いたが、結局のところはすださんの世界と自分との隔たりを感じては仕方がない。

そう思っていると、何か楽器を弾こうと思ったこともない「誰か」と全く同じような気もした。はすださんが弾いていた音楽はどういうものでしょうかと言う質問に対して、結局のところ僕には答えが出せないと思う。しかし、はるか遠い記憶のように、その音の中には、聞き覚えのあるメロデイが聞き分けられた。

はすださんとすこし話し合ってよかった。子供のころから、はすださんはビートルズが好きで、最近、二〇〇八年に入ってからこの三年間、クラシカルギターを弾いている。

はすだ昌志

はすださん、あの日に美しく弾いたクラシカルギターの音楽を聞いて頂いてありがとうございました。

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ナンバーワンとしての日本:世界への教訓

なぜナンバーワンとしての日本なのか

一九七九に、ハーバードの講師エズラ・ボーゲル「JAPAN AS NUMBER ONE:アメリカへの教訓」を出版した。西洋人で書いたノンフィクションとして一番ベストセラになった。これは二番目の日本に関わった本、一番目は「日本の新しい中産階級:東京の郊外で住むサラリーマンと彼の家族」だった。二〇〇〇年に「日本はまだナンバーワンなのか」という後継タイトルを出版したが、これは「JAPAN AS NUMBER ONE」の成功と比べ物にならなかった。

私には、日本のバブル経済の終りからこの二十年間を経て、このテーマが新しく、「ンバーワンとしての日本」が出たより強い力を得たと信じる。

バブルの終わりから ー いや、たぶんある程度で、もっと前ではないかなー 日本という国が「もうどうしようもない」という状況に陥ったことが明らかにしてきた。ボーゲルが「ンバーワンとしての日本」を書いた時、彼の以前の研究を基本として男女がまた研究の対象となった。つまり、ボーゲルは、戦後の復興を象徴したサラリーマンとハウスワイフ、家庭向けの商品の消費者になるべき存在する女性(桐野夏生は『リアルワールド』でこれを「商売のカモだし」と呼んだ)と官僚主義制度をまた基本として、彼のベストセラを書き上げた。八十年代に頂点に辿り着いた次第に当て所もない道のようになってきた近代化への戦後の復興の道と違って、今の日本では、八十年代に有名になった「ンバーワンとしての日本」という学説が新しく、意味をもってきた。やがては、官僚主義制度とサラリーマン生活そのものは次第に非人間的と功利的なミルのように見えてきた。

サラリーマン化の程度…それとも官僚主義制度?

一つの例として、少子化と共に、ハウスワイフの役割が意味がなくなりそうだった。ポジテイブの面より、負の面が表面化した。確かに、八十年代にも負の面が浮かび上がり始めているが、今と違って、バブル経済に隠されていた。今の日本で、結論が避けられなくなった。いろいろな分野で日本が先進国の中には、ポジテイブな面より、負の面の指導者と代表者になった。このエッセイの結論でこのポイントにまた戻ってくる。

だからこそ、今には、現代生活の負の面の代表として、日本がもう一度回りの国の目で一番地位に起こられてきた。実のところこういうと、皮肉があるかもしれないだけれども、今、日本が再価値を真面目にしようとしべきではあるまいか。どのように日本が全国の衰退を処理するという難題には、世界中の現代人々への教訓があるわけだから。

日本の論点、あるいは大転換の始まりへ

以下には、三つのテーマを考えてみたいと思う。このテーマの間には直接な関係がないのだけれども、それらは日本の社会現状況を多少なりとも明らかにする。

すべての分野でも日本がリーダとして見られる。しかし一つは、日本特有のところとして見られる(日本において日本語の地位)。

これらは日本の本当のユニークなところと言えるかもしれない。

ここでまず断っておきたいのだけれど、この随筆は詳細な分析ではないと思う。自分の意識の深層を探ろうとするわけでもない。改めて、別のエッセイで以下の論点に戻るかもしれないけれども、このエッセイでは、結局のところ、以下の三つの論点について、今は単に自分の思い入れを探ろうとしたい。

アメリカへの教訓だけではなく、日本にとっては、世界への教訓の時が今こそ。

論点一

日本少子高齢化現状

日本は今後超高齢化・少子化社会に向かっていくが、ペースは他の先進国を大幅に上回るものである。今の日本では、ユニークなところがごく少ないだが、この状況はそうかもしれないのだ。

宮城県登米市中田町老人福祉センター

言うまでもなく、ヨーロッパやいろいろな国も同じような状況に立ち向かう。しかし、悩むことよりも、少子高齢対策の必要ということ自体は他の国への教訓として見られるべきである。その「少子高齢対策研」という専門分野の発展の過程で、日本は自国の状況の実体を通して他の先進国を手伝う機会をつかむことができる。つまり、日本がこの問題に適切に処理することができる限り、世界への戦略が提供することもできる。

面白いことに、少子高齢に対して適切な解答をさせるの結果としては、今まで隠されたままだった世代の断絶を突然明らかになった。六十年代には、団塊の時代の到来と共に、社会では若い人たちの欲望が一般的に優先されたといえるかもしれない。その時代に老人サービスとケアーが、多いの場合、若いものの欲望や意見と比べて、それほど大事ではないとして見られていた。

確かに、どんな時代にも、どんな国にも、置き去りにされる老人の光景がかわいそうだ。若者に向けて発信される広告と若者向けのポップ文化に夢中になるという過程で、老人のケアーが見失ってきたら、いわゆる「先進国」という地位もう正しく言えなくなるかもしれない。

逆に、いまの少子高齢化社会で、私たちは、おなじようなかわいそうな光景が毎日みかける。私は時々、どこへ行っても恐ろしいほど膨大な老人ホームの構内を歩き回るような感じがする。人口減少で滅びさせられた田舎に散らばっている宮城県では - いや、全国では - それくらいの怖いな状態に向かっていく。老人に捨てられた店、都会で就職すてみるために出ていった若者に捨てられた畑…手伝ってあげたい人、才能がある人、逃亡者のように、窮屈なシステムに放逐させた役所…そんな風景、地方を歩き回ると、必然的に見かける。

私たちは、そのような日本に住む若者に何を言うべきなのか?老人ケアーのコストを担われる若者たちをのったらくったら首を曲げて歩いて学校に通うという光景を見る時、あなたは「いったい何を言いかけばいいのかな?」という質問に、自分で答えが出せるの?なぜなら、自分で自分なりの答えが出せる限り、悩まなくてもいいはずだ。

晩御飯中の座談会、あるいは作家として働くことについて

たとえば、ブリューゲルの「イカロス」だ。

何もかもまったくのんびりして、彼の災難を顧みようともせぬ、

農夫は、ざんぶという墜落の音や絶望の叫びを聞いただろうが、

重大な失敗だとは感じなかった。

太陽も相変わらず、碧の海に消える白い脚を照らしていた。

ぜいたくで優美な船も、驚くべきものを見たのに、

空から落ちる少年を見たに違いないのに、

行くところがあって、静かに航海を続けたのだ。

ーW.H.オーデン、「美術館」 Musée des Beaux Arts

ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel de Oude)の『イカロスの墜落のある風景』です。イカロスがどこにいるか、見つかりました?

オーストラリアで両親と両親の友人と晩ご飯を食べながら、母の女性の友人が、

「だって、なんでそんなイヤな国に行きたいの?」

と私に言った。

「そんなイヤな国」というのは、日本だった。母の友人は日本のことを一般的な批判をするわけではなかった。むしろ、私はその国に憧れているのを批判していたのである。なぜなら、母の友人がこの批判をした前に、私は以下のようなことを言った。

「日本は、他の国よりも、いわゆる「少子高齢」という問題に向き合って、それに対してどのように反応すればいいのか、どのように処理すればいいのかという質問の中には、世界への大事な教訓が収まっていると思う。少子高齢現状だけではなくて、他のいろいろな場でも、世界中には始めて処理させた国として、それとも他の国よりいろいろなことを解く圧力を加えられる国として、日本は、前よりも世界中の人々も向き合っている問題に対して解答を探すとさせている。

「たとえば、日本は少子高齢対策を作るべきだと言う人々の憂える声が日本で毎日毎日上がってきている。私は若者の日本人の家で泊まる度、日本人の一人住みの生活の憂鬱と接する。それはどういうものでしょうかというと、まあ、狭いアパートで一人ぼちでワンカップラーメンを食べながら、「フリーターとパラサイトシングルとほどほど族が日本を滅びさせるひとつの原因」というテレビ特集を見たりする生活だ。一人ぼちで布団に入って、目覚めるとつけっぱなしテレビから「中国が南京虐殺の写真の証を提供すべきだ」や「あなたはもう孤独死の犠牲になった?」という特集の音が流れている。家を出てコンビニのバイトに向かって歩き出すと、どこへ向かっても殺風景な畑、捨てられた農家、だーっと向こうまで列になって横たわっている自動販売機とコンビニという風景と向き合うんだ」

「だって、なんでそんなイヤな国に行きたいの?」

「そんな辛いとしても、私はどうしても日本の負の面にもっと深く理解しようとしたいんで、できれば、そんな寂しさを経験している人々を助けてあげたいと思う」

いうまでもなく、今の会話は東日本大震災と福島原発事故の前だった。

勿論、当時にこのように雄弁に語っていなかった。(そして、この意味では、みんなのわれわれ作家たちは嘘つきだと言えるかもしれない)。単純に自分の気持ちを伝えようとしていた。

パートII:ナンバーワンとしての日本:世界への教訓

椎名林檎と私、あるいは夢を持つことの大切さについて

(以下のエッセイははじめて書いた「フライ先生の言いたいこと」です)

椎名林檎:ファイタ

去年、上海の、とある街で散歩しながらホステルで会った女の子と話していた時のこと。その女の子はオーストラリアの東海岸にあるキャンベラ校で勉強しているという、

「帰国後に何か予定はありますか」と私は言った」

「今、日本は楽しくないところになってきているのと思うんだけど、本当に帰りたいの?」と女の子は私に言った」

「そうか」

一九九九年五月、『アジアウィーク』にインタビューされた中学生、佐々木りゅう、(一五歳)はこう言った。「僕の夢はアメリカの大学に行くこと。日本の若者は、今夢がない。僕はそうはなりたくない」

なぜ夢をもつのはものすごく大切なことなのかな。昔からしみじみと考えている。

自己紹介の後で「オーストラリアは好きじゃないの」ということをたびたびたずねられることがあった。私はオーストラリアが好きじゃないのではなく、どんな国でも、長い時間、住んでいるなら、まあ、他の場所へ行きたいという思いを抱くようになる。だからこそパースは自己紹介で悲しくなるほどつまらない街だと私は言った。

まあ、もちろん、パースは大きな空に、透き通った海がある。自然がいっぱいで、どこに行っても田舎というところでさまよっているようだ。しかし、そこに十一年間住んでいた。結果、そこで延々と続くことの方が寒々しく耐えがたいように思われた。佐々木りゅうと同じように母国を逃亡したかった。

ソフトバンクの孫正義社長は4月2011年、東日本大震災での被災者支援のため、個人資産から100億円を寄付すると発表している。

そう言えば、日本の中で最もお金持ちの人がかつて同じような考えをしているのではないかな。「日本のビル・ゲイツ」と呼ばれるソフトバンクの孫正義は、在日韓国人として生まれた。「韓国籍であるということで、子供心に人生楽ではなさそうだと思った」と孫は言う。そこで、まだ高校生の時にアメリカ西海岸に渡った。カリフォルニア大学バークレー校に入学するころには、すでに若き起業家として成功していた。二〇代前半に、シャープにポケット翻訳機を売って百万ドルを稼いだ。「アメリカには世界中から人が集まってくる。人種も国籍も千差万別だ。だれもが自分のやりたいことをやり、多くの人間がものすごい成功を収めている。それを知って気が楽になった。束縛から解放されたようだった」と孫は語っている。八〇年代前半に日本に戻った孫が設立したソフトバンク社は、一〇年で大きく成長し、今や孫は日本の情報産業の第一人者だ。

僕は女の子にそう語ると「だって、アメリカというのはそれほどおもしろくなさそうじゃないの?」と言った。

「ううん、そうかもね。だけどね、どこへ行くかなんて大したことじゃないのさ。どこでもいいよ」

「そうなの」

海外で成功すると日本で英雄となり、自国に戻り本来ならできなかった大きな仕事を成し遂げる。著名なアーティストはたくさん海外に住んでいる。

結果、有能な起業家、ライター、ジャーナリスト、デザイナー、芸術家など、現代文化に火の粉を飛ばすエネルギーをもたらす人たちを引っ張る競争が始まった。

一方、その人たちのうちでも、来なかった人もいる。

オウィディウスの『変身物語』からの絵 

古代ローマの詩人オウィディウス(Publius Ovidius Naso)によるラテン文学の名作である。その後彼は『愛の歌』をギリシア神話を参考に書いたが、あまりに露骨な性的描写が多かったため、実際に読んだアウグストゥス帝が激怒し、紀元8年、黒海沿岸の僻地であるトミス(現在のコンスタンツァ)へ流されそこで没した。

椎名林檎

椎名林檎もそうだったって?そういうようなことをアーティストのwikiページで読んだ。「17」っていうの歌は聞いたことある?「私と放電」っていうアルバムからのだね。で、私は、その歌に夢中になってしまう。林檎は歌詞を英語で書いてたり、英語で歌ったりする。

(以下のビデオリンクで聞けるね。歌詞の翻訳はyoutubeで載っている。アクセスするために、右の下タブをクリックする)。

その歌の歌詞は本質的に個人の自由を探す難しさを嘆いています。

清貧の思想

「清貧」って知っていますか。「清貧」というのは、一八世紀の禅僧、良寛の簡素な暮らしのことである。良寛が茅葺きの小屋で幸福に生きていたことはよく知られており、その何よりの喜びは近所の子供と遊ぶことだった。「清貧」は、日本のすぐれた文学作品の多くを生み出す源泉だった。

渋く生活をしていた人として良寛というのは日本文化である理想を具体的にすると言える。一方、良寛は周りの人にとって他人に見えたとも言えるなんて…。

良寛と子どもたち

つまり、オウィディウスのように、椎名林檎のように、野茂英雄やイチローのように国内の窮屈なシステムから逃げる逃亡者は何年も前からいた。そういう意味で才能がある人たちはいつも旅に出かけている。人々は高校時代の椎名林檎のように人生でしたいことを探せなくて困っている。

個人的な成功を見ていくと、またしても「夢を持つことの大切さ」という思想に戻ってくる。なぜ夢を持つのはものすごく大切なことなのか。昔からしみじみと考えている。それがなければ、何も始まらないだろう。才能がある人の声でさえも。

お知らせ:

生徒会室の前に「フライ先生の目安箱」を置きました。意見か質問があれば是非私に書いてください。私とニャンコ先生が待っていますね。

漫画『夏目友人帳』に登場するニャンコ先生とエビフライ(先生?)

豊里の中学校の7年生が作ったニャンコ先生