ナンバーワンとしての日本:世界への教訓

なぜナンバーワンとしての日本なのか

一九七九に、ハーバードの講師エズラ・ボーゲル「JAPAN AS NUMBER ONE:アメリカへの教訓」を出版した。西洋人で書いたノンフィクションとして一番ベストセラになった。これは二番目の日本に関わった本、一番目は「日本の新しい中産階級:東京の郊外で住むサラリーマンと彼の家族」だった。二〇〇〇年に「日本はまだナンバーワンなのか」という後継タイトルを出版したが、これは「JAPAN AS NUMBER ONE」の成功と比べ物にならなかった。

私には、日本のバブル経済の終りからこの二十年間を経て、このテーマが新しく、「ンバーワンとしての日本」が出たより強い力を得たと信じる。

バブルの終わりから ー いや、たぶんある程度で、もっと前ではないかなー 日本という国が「もうどうしようもない」という状況に陥ったことが明らかにしてきた。ボーゲルが「ンバーワンとしての日本」を書いた時、彼の以前の研究を基本として男女がまた研究の対象となった。つまり、ボーゲルは、戦後の復興を象徴したサラリーマンとハウスワイフ、家庭向けの商品の消費者になるべき存在する女性(桐野夏生は『リアルワールド』でこれを「商売のカモだし」と呼んだ)と官僚主義制度をまた基本として、彼のベストセラを書き上げた。八十年代に頂点に辿り着いた次第に当て所もない道のようになってきた近代化への戦後の復興の道と違って、今の日本では、八十年代に有名になった「ンバーワンとしての日本」という学説が新しく、意味をもってきた。やがては、官僚主義制度とサラリーマン生活そのものは次第に非人間的と功利的なミルのように見えてきた。

サラリーマン化の程度…それとも官僚主義制度?

一つの例として、少子化と共に、ハウスワイフの役割が意味がなくなりそうだった。ポジテイブの面より、負の面が表面化した。確かに、八十年代にも負の面が浮かび上がり始めているが、今と違って、バブル経済に隠されていた。今の日本で、結論が避けられなくなった。いろいろな分野で日本が先進国の中には、ポジテイブな面より、負の面の指導者と代表者になった。このエッセイの結論でこのポイントにまた戻ってくる。

だからこそ、今には、現代生活の負の面の代表として、日本がもう一度回りの国の目で一番地位に起こられてきた。実のところこういうと、皮肉があるかもしれないだけれども、今、日本が再価値を真面目にしようとしべきではあるまいか。どのように日本が全国の衰退を処理するという難題には、世界中の現代人々への教訓があるわけだから。

日本の論点、あるいは大転換の始まりへ

以下には、三つのテーマを考えてみたいと思う。このテーマの間には直接な関係がないのだけれども、それらは日本の社会現状況を多少なりとも明らかにする。

すべての分野でも日本がリーダとして見られる。しかし一つは、日本特有のところとして見られる(日本において日本語の地位)。

これらは日本の本当のユニークなところと言えるかもしれない。

ここでまず断っておきたいのだけれど、この随筆は詳細な分析ではないと思う。自分の意識の深層を探ろうとするわけでもない。改めて、別のエッセイで以下の論点に戻るかもしれないけれども、このエッセイでは、結局のところ、以下の三つの論点について、今は単に自分の思い入れを探ろうとしたい。

アメリカへの教訓だけではなく、日本にとっては、世界への教訓の時が今こそ。

論点一

日本少子高齢化現状

日本は今後超高齢化・少子化社会に向かっていくが、ペースは他の先進国を大幅に上回るものである。今の日本では、ユニークなところがごく少ないだが、この状況はそうかもしれないのだ。

宮城県登米市中田町老人福祉センター

言うまでもなく、ヨーロッパやいろいろな国も同じような状況に立ち向かう。しかし、悩むことよりも、少子高齢対策の必要ということ自体は他の国への教訓として見られるべきである。その「少子高齢対策研」という専門分野の発展の過程で、日本は自国の状況の実体を通して他の先進国を手伝う機会をつかむことができる。つまり、日本がこの問題に適切に処理することができる限り、世界への戦略が提供することもできる。

面白いことに、少子高齢に対して適切な解答をさせるの結果としては、今まで隠されたままだった世代の断絶を突然明らかになった。六十年代には、団塊の時代の到来と共に、社会では若い人たちの欲望が一般的に優先されたといえるかもしれない。その時代に老人サービスとケアーが、多いの場合、若いものの欲望や意見と比べて、それほど大事ではないとして見られていた。

確かに、どんな時代にも、どんな国にも、置き去りにされる老人の光景がかわいそうだ。若者に向けて発信される広告と若者向けのポップ文化に夢中になるという過程で、老人のケアーが見失ってきたら、いわゆる「先進国」という地位もう正しく言えなくなるかもしれない。

逆に、いまの少子高齢化社会で、私たちは、おなじようなかわいそうな光景が毎日みかける。私は時々、どこへ行っても恐ろしいほど膨大な老人ホームの構内を歩き回るような感じがする。人口減少で滅びさせられた田舎に散らばっている宮城県では - いや、全国では - それくらいの怖いな状態に向かっていく。老人に捨てられた店、都会で就職すてみるために出ていった若者に捨てられた畑…手伝ってあげたい人、才能がある人、逃亡者のように、窮屈なシステムに放逐させた役所…そんな風景、地方を歩き回ると、必然的に見かける。

私たちは、そのような日本に住む若者に何を言うべきなのか?老人ケアーのコストを担われる若者たちをのったらくったら首を曲げて歩いて学校に通うという光景を見る時、あなたは「いったい何を言いかけばいいのかな?」という質問に、自分で答えが出せるの?なぜなら、自分で自分なりの答えが出せる限り、悩まなくてもいいはずだ。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中