市ヶ谷にて

はすだ昌志

ある晴れた日、鳥が消えた空の下で、正月休みのちょっと前のこと。僕は昼ごはんを食べようと思っていて、静かなところを探しようとした。並木の枯れた大枝の下をくぐって、法政大学の隣に走っているJR中央線の軌道は目がくらむほど明るく光っている方向へ歩みだした。

突然、ばらばら散らばっていた色あせた冬の落葉が覆った小さなテーブルを見かけた。僕が来た前に同じところで座っていた見知らぬ「誰か」の飲んでいたお茶のペットボトルがテーブルの上に弱々しく光っていた。その「誰か」がちょっと前に聞いていた音楽が、香水のやや苦い香りがほのかに空気に残っているように、漂っている。僕は振り返ると、隣のテーブルで、ギターを弾いている男が座っていた。彼はうねうねと横たわっている川の方に僕は見えない何かが見っているようだった。ギターで弾いた音には、なんともいえぬ美しさが聞こえてきた。

あの日に僕が聞いた「美しさ」はどういうものでしょうか。結局、あの日に聞いた音楽の中で充実して生きているはすださんのスタイルが、音楽の音としてしか伝わってこない美しさなのである。聞いていると、僕は川のほとりを走ってその流れる水を空しく追いかけている気がした。僕は音楽と言う水を汲めない聾唖だった。僕は長い間音楽家になりたいという夢を抱いたが、結局のところはすださんの世界と自分との隔たりを感じては仕方がない。

そう思っていると、何か楽器を弾こうと思ったこともない「誰か」と全く同じような気もした。はすださんが弾いていた音楽はどういうものでしょうかと言う質問に対して、結局のところ僕には答えが出せないと思う。しかし、はるか遠い記憶のように、その音の中には、聞き覚えのあるメロデイが聞き分けられた。

はすださんとすこし話し合ってよかった。子供のころから、はすださんはビートルズが好きで、最近、二〇〇八年に入ってからこの三年間、クラシカルギターを弾いている。

はすだ昌志

はすださん、あの日に美しく弾いたクラシカルギターの音楽を聞いて頂いてありがとうございました。

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