こども東北学、あるいは切り刻まれた歴史の先に

昨日の毎日新聞で以下の記事を目に留まった。本をまだ読んでいないけれども、時間があればね。とにかく読むのに楽しみに。

記事がここから始まる。

宮城県、登米市、米山町

自身の経験を軸に、東北の貧しさと豊かさの歴史を描いた。1976年、宮城県南三陸町生まれの東北研究者。東日本大震災で、実家は辛うじて残った。

もともと専業農家だが、今は自動車の4次下請け工場なども営む。「高卒後、親の工場で働いたけど、仕事が減って家族の私からクビに。3年ほど町の民俗資料館に勤めて、2001年に慶応大に入りました」

共同体の固い殻で自然災害に耐えてきた東北。国と社会の矛盾を押しつけられ、「へき地」扱いされ続けてきたと感じる。

過疎地のブールス

 

先の大戦の戦場の記憶から逃れられない祖父は、アルコール依存症だった。「これから天皇陛下さ会いさ行く」と、田んぼに背広と長靴姿で現れたことも。ある親戚は、親が戦前、本家の財産を処分し旧満州(現中国東北部)に移民した「罪」を子として背負い、戦後も本家の敷居をまたげなかった。実家の裏山には、由来のよく分からない「蝦夷(えぞ)塚」があった。「蝦夷が本当はどんな人だったかも分からないほど、東北の歴史は悲しく切り刻まれ、忘れられてきたと思う」

小学生の頃、標準語の「発音練習」をした。中学の同級生で4年制大学に進んだのは自分一人。親に黙って受験し合格すると、親は親戚から「結婚もさせないで、あまやかして遊ばせていいのか」と責められた。

それでも、小学6年生で初めて上京したとき、一人暮らしの人々の存在に驚き、家に鍵をかけるとは「なんて寂しい」とも思った。郷里の人々は、深酔いする祖父のことを「狐に化かされた」とうわさしたが、そこには、さげすみと共に優しさがあった。「今も、東北にとらわれ続ける愛郷心のようなものがある。故郷を出た後ろめたさゆえのものかもしれませんが」

共同体に比重を置く田舎と、個人に比重を置く都会の両方の良さが活(い)きる社会がほしい。そのためにも「震災と原発事故で奪われた東北の土と海は、必ず取り戻さなくてはいけない」と思う。マイナスの札を延々と並べたうえでも、なお東北を愛したい。「この本のまとまりのなさ、混乱のありようこそ、私の内面そのものなのです」

毎日新聞 2012年1月22日 東京朝刊 より

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