狐月

手話

本を支えている指の形は、一人ひとり違っている。指は何かをいおうとしている。それは本の内容とも関係がないし、読んでいる人の性格とも関係がない。指たちは、人間には理解できない会話を勝手に進めている。その手話は、電車の中で交わされる隠語のようなものだ。

重層構造

日の光が本の表面にし、樹木のかげが右から左へ滑っていく。文字は上から下へと流れる。樹木と文字がページの上で正面衝突を起こすことはない。さだから、本の表面にはいくつもの層があるのだということが分かる。

子供が、本のページをいろいろな角度から眺めている。頭をちょっと傾げるたびに、くちびるに微笑みが浮かぶ。子供は先へ進もうとはせず、同じページにとどまったままだ。頭を少し動かすだけで、違う物語が現れるらしい。

覗き

本を読む人の右隣りに座っている女は、本の方を見ないようにしている。まるでそうしなければ好奇心を抑えることができないとでも言うように、女は右の方ばかり見ている。隣に座っている人の本を盗み読みするのは、電車に乗っている人間のすることの中でもっとも恥ずかしいことだとされている。誰でも、覗き魔だとは思われたくない。同じ本を図書館で見たとしたら、興味を引かれなかったかもしれない。電車に乗っていると、誰でも、普通なら絶対読まないような本にまで興味を感じる。

広がり

電車がどんなに混んでいても、本さえ読んでいれば狭くてやりきれないということはない。本のページが、読書する人のまわりに無限の空間を拡げる。

未練

ページをめくったばかりの子供の人さし指が、もう読んでしまったページに張り付いたまま、離れようとしない。視線は先へと進むのに、指はいつまでもそこにとどまっている。その文章を忘れるのが嫌なのだ。話が好いほうに展開していくのだと分かっていても、悲しい文章から離れる気になれないのだ。

本を読む人の隣で居眠りすると、その本の主人公に夢の中で出会うことがある。居眠りしていたその人が、ある日どこかで偶然同じ本を読むと、初めて読む本なのに、主人公に以前どこかで会ったことがあるような気がして、おやッと思う。

飛翔

電車の中で読まれる本は、つかまるところがない。机の上に置かれているのではなく、空中に浮いている。自分のあるべき高さを見つけることができずに、上がったり下がったりしていることもある。

どこか

視線がちょっと活字を離れることもある。視線は空中をさまよい、何も見ることができないまま、本のところへもどってくる。他の乗客たちなどというものは、本を読んでいる人の目には、透明人間のようにしか見えない。視線がさまよってきた空間は、電車の中にあるのではなく、どこかまったく別のところにある。

変換

視線は暴力かもしれない。本はその視線を受け止めて、文字に変換する。

子ども

乗客の体が小さければ小さいほど、その手の中にある本は大きい。大人の読んでいる本は、子どもの絵本に比べると、とても小さい。ごく幼い子どもが、巨大な絵本を開く。それは、テングかテンシが翼を広げているところのように見える。電車は込んでいたが、それでもまわりの大人たちはできる限り、開かれる絵本のために場所を空けてやった。本を読むという行為には、こんなにも広い場所が必要なのだ。

「電車の中で読書する人々」より 狐月

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